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陽だまりに注ぐ哀悼

 深い森を蛇が這うような道のりの途中にあったその村では、過去に類を見ない経験をした。立ち寄った村に悪魔憑きの者がいるまではこれまでもあったが、その悪魔が亡くなった人間の霊魂を使役していることや、さらにその祓魔を自分に依頼されることなど初めてのことだった。結局、偶然居合わせた西の方から来たカラフという神父が祓魔を行ったが、悪魔によって使役されていた霊魂は私が天へと送り出すことになった。
 祓魔をするほどの能力は私にはまだ備わっておらず、事態を終息させるための役割分担に異議は全くない。だがどういうわけか私は、霊魂に触れることが出来、その霊魂の記憶を視ることが出来てしまった。その一時だけの神の気紛れかとも思ったが、霊魂への祈りの最中にもう一度同じように触れてみれば記憶を視られたので、私は能力を得たと一旦理解することにした。

 しかしそうなれば何故この平々凡々な一補祭の私に、身に余るほどの高度な能力が与えられたのか。先述の通り私は祓魔を行えるほどの技術も立場も得ていないし、仮にそれを身に付けることが出来ても悪魔に対しても同じように記憶が視られるかは疑問だ――読み取れたとしても悪魔の記憶になど興味はないし、そもそも接触した時点で精神が飲み込まれないとも限らないので試したくもない――。
 私は補祭としてこれまで役目はしっかり果たしてきたつもりではいるし、――この村では醜態を晒したが――救える人は救ってきた。だが良くも悪くもそれだけで、数え切れないほどの多くの人を救ったりだとか、反対に務めを放棄したりだとかはしていない。他の者には有り得ない何かが自分の身に降りかかる謂れはない。
 ではこの土地に自分がなにか関わっている事象があるのかとも考えてみたものの、私は暮らしていた村から出るのは初めてだし、先代も先々代も土着の人間で、よその村に誼を持ったような話は聞いたことがない。
 ならば何故――、といくら考えても思い当たる点もなく結論は出ないので、とりあえず原因を探ることは辞めた。そういうことは現状が解決してからするものだ。

 村をあとにして同じ景色の続く森を道なりに歩きながら、次に考えたのはこの能力の使い道だ。理由は分からないものの、せっかく得た能力ならば腐らせておくのは勿体ない。
 けどこの能力をどう活かせばよいのか。霊魂というものを視たのは今回のことが初めてであったし、今後視えることがあっても記憶を読む必要性のある機会など訪れることがあるだろうか。持ちうる知見をあれこれこねくり回す。
(例えばこの度と同様に、天に昇れない者の記憶を視る、とか……。いや、だとしても霊魂が正気を失っていれば助言どころでもないか)
 結局のところ答えは見つからない。立ち止まって深い息を一つ吐き出すと、振り返って村のある方を見やる。あの村にはカラフ神父が残り、今日も領主の娘に憑いた悪魔を祓っている。手助け出来ないのがもどかしく不甲斐ないがそれが自身の現状だ。
 ならば一日でも早く同じだけの技量と立場を得よと私は自分自身に発破をかける。容易いことではないが、それくらい達成出来なければ人など救えないし、授かった能力も披露する場もなく終わるような気がする。

(考え込んでも仕方ない。今はまだ旅程の途中だ)
 思考は立ち止まらずともできる、と、目的地に向かって歩き出そうとしたところで、無機質な風が肌を撫でた。少し汗ばみそうな夏らしい暖かな空気の中に、それは少し寒気を感じさせそうないつもと違った冷ややかさを持っていた。
 釣られるように風が吹いてきた先に視線をやると、周囲と変わらない森の木々の向こうにぼうっと温かみのある山吹色の空間が微かに見えた。木々の隙間から太陽光が射し込んで出来ているだろうその光の固まりは、自然が作り出すそれとは少し違うような気がした。
 私は気紛れにそちらへと歩を進めた。少しずつ大きくなるその山吹色の固まりは、思った通り太陽光が射し込んでいる空間だということが分かった。だがその空間の中心には、明らかに自然が作り出した物ではないそれがあった。
「これは、……墓?」
 私の脳裏には村の領主から聞いた話が浮かび上がる。村のはずれに墓がある。おおよそこれがその墓なのだろう。
 それにしても随分とボロボロになっている。こんな状態でも、その墓は周辺では見慣れない形状のものだと見て取れる。多分我々とは違う営みを持つ人が建てたのだろう。
 墓の目前まで来てまじまじと眺めたあとふと足元に目線を移すと、風か獣かにさらわれたであろう土の中から、埋葬されたと思われる遺骨の一部が露出していた。
(このままでは安らかに眠れないだろう)
 手近にあった折れた太めの枯れ枝を持ち、露出した遺骨の周りを丁寧に掘り返す。それは二本の腕の骨だった。さらに掘り続けると、その骨は長さが違うことと、やけに密着して同じ部位の骨があること、遺体が仰向けに埋葬されたなら左右が逆であることにも気付く。
 私は直感した。ここには二人が並んで眠っているのではないかと。
(寄り添っている二人のちょうど間、相手側にあるお互いの腕ということか)
 片方がもう片方と比べて一回り大きさが違うのは、この二人が大人と子どもの組み合わせではないかということも想像出来た。親子という可能性も大いにある。
 親子だとしたら、この二人を埋葬したのは残った両親のどちらかだろうか。その時にどんな気持ちだったのか。少し考えるだけでも胸の辺りが締め付けられそうになる。きっとこの場から離れがたかったのではないだろうか。
 不意に疑問に思い、軽く辺りを見回す。墓はこの一基だけ。なぜここに二人だけなのか。墓があるのに村はない。あえて村の墓所とは別のところに埋葬したのか。
(……いや、やめておこう。きりがない)
 何にしても、ここに二人だけ躯があるのは事実だ。これ以上荒れることのないよう出来る限りのことをしようと、私は作業を再開した。

 さて、掘り返した地面から露出していた遺骨を改めて埋葬しようとした段階で、今度は違う疑問が湧いてきた。
 霊魂に触れることで記憶が読めるなら、死者、遺骨の場合はどうなのだろうか。
 もしこれが可能なら、私でも活用の余地があるのではないか。例えば、誰にも看取られず亡くなった者に触れて、最期の瞬間に知己に対して思い浮かべたメッセージがあれば伝えることが出来る。
 若干の期待を持って、しゃがみ込んだ私の膝下にあるその遺骨に触れてみた。
 だが、結局なにも起こらなかった。
(そううまくはいかないか)
 抱いていた期待が呆気なく霧散して、思ったよりもこの能力で特別な存在になれると自分が期待をしていたのだと認識し、恥ずかしさを誤魔化すように笑った。
 遺骨を埋め戻した後、私は墓に補強を施した。土は以前より多めに盛り、朽ちて傾いていた墓標は、脇に同じくらいの太さの枝を刺して添え、蔦で軽く括った。
 この墓を管理する者はもういないのだろう。赤の他人かつ恐らく違う神の許で生きていた人間だから余計なお世話かもしれないが、私も聖職者のはしくれだ。祈りを捧げずに立ち去るなどはしない。
「安らかな眠りを」

 射し込む日溜まりの真ん中にあった墓が、そろそろ日陰へと近付いている。これ以上長居しては村へとんぼ返りしてもう一夜を過ごさなければならなくなる。領主とカラフ神父に見送られて発ったのだからまた姿を見せるなんてきまりが悪い。
 私は墓の前を離れると、再び木々の間を抜け、道へと戻ってきた。太陽は傾き始めていたもののまだ空は青々としており、このくらいであれば、暗闇に包まれる前に次の村へたどり着けるだろうと目算を立てる。
 ふと戻って来た経路を振り返ってみたとき、そこには私の記憶と違う、ただ木々が林立する光景が広がっていた。
 ただの森林だ。それに違いはない。しかし、墓を見つける目印となった日溜まりが一切見当たらない。さっきから大した時間が経過したわけではない。日溜まりが姿を消すほど太陽が沈んだわけでもない。だのに、あの薄ぼんやりした山吹色の固まりはどこにも見当たらなくなっていた。

 歩き始めてしばらく、空が朱から藍へのグラデーションを描き始める。夏場とはいえ、この時間帯になれば風は涼しくて薄着であれば肌寒さを感じることもある。
 ここから先ほどの村へは、夜がやってくるまでに戻ることはもう出来ない。
(カラフ神父とは、また会うことはあるかな?)
 未熟ゆえ悪魔祓いを任せざるを得なかった。それが心苦しくもあり、悔しくもあり、もっと試練を乗り越えて行かなければと気概を持ち直す。
 歩を進めればやがて、辛うじて闇に溶けずにいる十字を掲げた尖塔が見えてきた。それが存在するということは、その教会を取り囲むように村があるということ。当初の予定では数日前に到着していたはずの村だ。
 闇が辺りを覆いきる前に村を見つけることが出来てほっと溜め息をつく。予定通りにいかないことなど茶飯事だし、肝要なのは目的を達することだ。野宿にならなかったことがとてもありがたい。
 そう、最終的に目標を達成すること。この旅も、目的地で行うことも、カラフ神父への借りを返すことも。寄り道も全て糧となれば無駄なことではない。私は進むべき道を一歩ずつ着実に進めばいい。その先にはきっと、私の、今、に意味があったと思える境地が待っているだろう。